世の中を凌ぐ(15)【プールの思い出】
福岡は今、連日35度近くまで気温が上がり、少し営業に出ると
全身がびちょびちょになる。今年の夏は夏らしいことをしないまま通り過ぎていきそうだ。キャンプも川遊びもしていないし、出かけてもいない。
まぁ、それは仕方ないとして、こんなにうだるように暑いとプールにでも飛び込みたくなる。そんなことを思っているとふと、小学生の頃の思い出がいくつか蘇ってきた。
この季節になると、「チリンチリン」という音を楽しみにしていた。
ぼくは小学生の時めちゃくちゃぼろいマンションの5階に住んでいた。
夏休み家にいる時は、耳を澄ましていることが多かった。
それは「チリンチリン」となる音を待っていたからだ。
この音の正体はアイスキャンディー屋さんだ。
当時は、アイスキャンディーの屋台みたいなのがうちのマンションによく来ていた。
1本100円くらいだったかな?この音がするとマンション中の子供たちが100円を握りしめて一斉に集まっていた。今じゃ、こんな風景もなくなったからこそ懐かしい。
アイスキャンディーを食べて、素麺をやたら食べて、ベランダでスイカを食べていたことを思い出す。
他には夏といえば「プール」だった。
小4くらいからはサッカー部の練習が休みの時は自転車で40~50分位かけて
市民プールに友達とよく行っていた。子供たちだけで行くことがとても楽しかった。
いつも母さんに500円をもらって入場料で300円と200円をおづかいとして週に1~2回子供だけでプールに行くことがとてつもなく楽しかった。
そんなある夏。いつも通り友達とプールに行くからお金を頂戴と母にせがんだら、
「お金がない。」
と言われた。子供ながらに500円くらいはあるだろう。
決してわがままな金額ではないから、何かで母を怒らせたのかと思ったが見当もつかない。
「そんな意地悪言わないで、500円頂戴よ」
といったが、「本当にお金がない」と言われた。
子供ながらにガチでお金ないのかと感じたが、僕は昔からわがままだった。
泣きながら、これじゃ友達とプールに行けない!と叫んでいた。
そんなやり取りをしていると姉(当時大学生)が部屋から出てきて
「これで行ってきな。」といって1000円をくれた。
当時の小野家は相当財政難の時期もあったらしく後々知るのだが
大学生の姉がモスバーガーでバイトしていたお金を家に入れていたらしい。
姉は学生のうちから自分で車を買い、親からお金をもらうことをしないのはもちろん家にお金を入れていたらしい。
まぁ当時小学生の僕はそんなこともつゆ知らず、
「ありがとう!姉ちゃん!」
といってウキウキでプールに出かけていくくらい、クソガキだった。
当時の家の苦労なんて知ってもいないし知ろうともしていなかった。
(高校でもそうだったし、大学でもそうだった、何ならつい最近までそうだった)
しかも、我ながらダメな人間だと思うのが、
そんな価値のある1000円をしっかり一日で使ってしまったのを覚えている。
内訳は入場300円フランクフルト200円かき氷200円ジュース2杯。
いつも500円で問題がなかったのに、1000円をもらったら1000円全て使ってしまう子供だった。
三つ子の魂百まで である。
根本的に今までの33年間変わってない。
自分の息子にはそうなってほしくない。
お金の教育は絶対にしていこうと思う。
この考え方は少しずつ変わってきていると思う。。。
その中でも大きな影響を与えてくれたのは妻だ。
感謝している。