思い出書いておくブログ

なんの取り柄もない33歳のブログ

世の中を凌ぐ(19)【カリスマのケン】

さて、久しぶりにこっちのブログの方を書こうと思ったけど、書くことがないな。
鹿児島の中学校の事でも書こうかな。

 

僕は14歳の時に栃木から鹿児島に引っ越した。
理由は親の離婚。これはちょいちょい書いてあるので何回かこのブログを見たことがある人は知っていると思うから割愛する。

 

まぁ、思春期真っ盛りだから転校するのはとてつもなく嫌だった。
しかし、子供とは無力である。もちろん、親についていかなければ生きていけないから、母の実家の鹿児島に行くことは避けられなかった。しかも当時の栃木の中学校では県でも有数のサッカーの強豪校で僕はそこで結構頑張っていた。県のセレクションにも呼ばれるくらいには頑張っていた。しかし!転校先にはサッカー部がないとのことだった。仲の良い友達とも離れ、愛してやまないサッカーとも離れなければならなかったと思うとかなりの絶望だったと思う。

 

しかし、僕は案外強かった。
転校して2週間もするとそこそこ順応できるタイプだった。
あとは栃木の中学校は全校生徒1000人とかいたが、転校先は全校生徒100人くらいしかいない中学校でかなり素朴な中学生&ヤンキーもいなくまさに平和で自由な校風で自分にぴったりの環境だった。

 

今振り返ってみても、僕の人格形成の60%はこの鹿児島の中学校で形成された。

一つ、転校あるあるを話すと、
最初に仲良くなった面倒見のいい奴とは最終的に疎遠になる
これはあるあるだと思う。

右も左も分からない自分をすごく気にかけてくれて親切にしてくれた一氏君がいた。
生徒会に属していて、正義感が強い子だった。優しかった。がすごく小さかった。

 

2か月後には同じグループで遊ばなくなっていった。(でも小さい学校なのでみんな仲良しであることは変わりない)

 

とまぁ、あれだけ嫌だった鹿児島でもあっという間に順応できた。
自分は生まれながらに恥ずかしがり屋ではあるが順応性がありどこでも楽しめるタイプだったのだと思う。

そんな中、僕が衝撃的に思ったのが同級生のドン「川畑  健」だ。
青戸中学校は彼の中学校と言っても過言ではなかった。
そんな彼との出会いが僕の人生を大きく変えた。

健とは付き合いが長いので5部作ぐらいになると思う。
かれこれ14歳から33歳の今までだから20年の関係だ。
急に懐かしくなったので健に今から電話を掛けたくなったので、今回はここまでにする。

 

 

では!!