思い出書いておくブログ

なんの取り柄もない33歳のブログ

世の中を凌ぐ(3)【犬になりたい】

また幼稚園の頃の思い出を思い出した。

思い出そうとすれば結構出てくるものだ。

 

小学校の思い出や、中学校の思い出もポロポロ出てきた。

とりあえず古い記憶の方が忘れやすいから、今のうちに残しておくことにする。

僕は幼稚園の時は、とんでもない悪党だったと前回思い出したけど。
ジャイアンタイプではなく、スネ夫タイプだった。
はじめの一歩でいうと鷹村タイプではなく、青木タイプ。
ケンシロウではなくジャギタイプ

の幼稚園児でした。(自分でも言い過ぎかも。と思ってきた)
なぜかというと、頭がよかったんですよね。
これは自他ともに認める頭の良さとずる賢さ。

すべては、「やっててよかった公文式」のおかげです。
結構勉強が好きな幼稚園児だったらしく。年長の時には
・自分の名前を漢字で書ける

・掛け算九九が暗唱できる

・ことわざ博士(小学校の時には忘れた)

・俳句博士(小学校の時には忘れた)

・干支を全部言えた(今は言えない)

 

公文式でも県で優秀な奴に贈られる何かをもらった記憶がある。

 

だから、ずる賢い方に成長してあんな感じの幼稚園児だったのだと思う。
もう、頭の良さは無双状態だった。


幼稚園児あるあるで、
「今日は何の日でしょー。」
とか聞かれると
「どうせ誕生日でしょ?」
というようなクソ冷めた園児だった。
すると

「なんで?なんでわかるの?暗記してるの?」
って聞かれたことに対して
「いや、そういうのたいてい誕生日じゃん」

みたいなことを言うタイプだった気がします。

 

ふと思い出した記憶が、
幼稚園の卒業文集で、
一人だけ全部名前を漢字で

「小野源太」と書いて

将来の夢を「サッカーせんしゅ」と書いていたような気がするのですが、
そっちの記憶は結構あいまいで、

 

それ以上にはっきり覚えているのが、

千野根ゆうき君だった気がするのだけど、、、

汚いひらがなで自分の名前を書いて

将来の夢を「いぬになりたい」って書いていたことをなぜかすごく覚えている。

多分当時、名犬バウとかいうアニメがやっていて、
千野根君か野崎君が書いたバウの絵がめちゃくちゃうまかったのを覚えている。
他の子の文集の事は全く覚えてないけど。
名犬バウの絵と「犬(バウ)になりたい」の事は鮮明に覚えている。
千野根君だった気がするけど、ぽーっとしていて優しい子だったイメージがあって。

当時賢かった僕は、衝撃的な将来の夢を書いている千野根君か野崎君に興味津々だった気がする。

 

5歳とか6歳なりに、「いや、犬になったら人間以下だろ」とか
「犬になりたいって思う千野根君か野崎君はばかなんだろう」と思っていた。

 

(犬になりたいって書いていた子は絶対いたけどそれが千野根君か野崎君だったか自信はない。間違っていたら盛大に謝ります。)氏家幼稚園出身の人でこれを見た人は拡散せずにそっと胸の中にしまっておいてください。色々ややこしそうなので。

 

ただ、そんな犬になりたかった誰かは。
中学の時にヤンキーになっていて、その時はあまり話しかけはしなかったけど、
幼稚園の時あんなにぽーと生きていたのに激しい成長を遂げたなぁ。
ある意味、犬みたいになったな。`狂犬的な。と中々面白いことを思った気がする。
ちなみに中学校の時は千野根君も野崎君もヤンキーだった。
だから、幼稚園の卒業アルバムを今度実家に帰ったら見つけようと思う。

 

なぜこんなしょうもないことを覚えているのだろう。

記憶とは不思議なものだ。

 

この時に姉にそそのかされてサッカーにハマっていった。

あとは、ピアノを習っていた蕪木くんを馬鹿にしまくっていじめていたのを覚えているけど。小学校の1年生から3年生までは蕪木君こと通称カブちゃんが大親友になった。

 

だから次はカブちゃんとの小学校の思い出を書こう。

 

カブちゃんとは毎日一緒に遊んでたなぁ。
カブちゃんのおじいちゃんから色々教えてもらったし。

あっ、秀ちゃんやくそ金持ちの一個上のこーちゃんもいたなぁ。

 

小学校編で10記事位かけそう。

 

ちゃんと記憶に残しておこう。

 

ちなみに僕の甥っ子の俊太が幼稚園生の時に

将来の夢は?って聞いたら、
年中くらいで「魚になりたい」って言ってた。
年長くらいで「イルカになりたい」って言ってた。
人間の辛さをもしかしたらすでに気づいていたのかもしれない。


幼少期で結構、自頭は決まるのかもしれないと思った。

 

一応、俊太は普通の進学高校で副生徒会長ではあるけど
頭がいいタイプではない。