思い出書いておくブログ

なんの取り柄もない33歳のブログ

世の中を凌ぐ(20)【カリスマのケン②】

前回、カリスマのケンについてのブログのはずなのに、読み返したら全く健の事を書いていなくて驚いた。

 

onogen0515.hatenablog.com

 題名と内容が全く一致していなくて自分でも憤った。

 

ということで、歳とって忘れないように20年前の事を少しずつ思い出しながら書いていこう。そうなると、僕の奥さんとも転校した鹿児島の中学校で出会ったから出会って20年もたったのだと思うと感慨深い。中学校の思い出は主にこの2人がメインだ。

 

また、話が横道にそれたが健は青戸中学校では10年に1度のカリスマだった。たぶん。
僕が転校したのが中2のいつごろか忘れたけど、その時から健は際立つ存在だった。同級生は40人くらいの小さな中学だったが転校して10日もすれば学年の中心が誰かは直ぐわかる位の感性を僕は持っていた。

 

なんせ、転校前の中学校はまず1学年320人で全校生徒1000人を超えるマンモス校で、ヤンキーも一杯だった。あとは所属していたサッカー部は県内でも有数の強豪校だったので校内でも結構目立つ集団に自分もいた。目立ちながらもヤンキーに目を付けられないように、尚且つ可愛がってもらえるように学校生活を送らなければならない。そこら辺の絶妙なバランス感覚というか感性は前の中学校で磨かれていた。

 

青戸中は前の学校の10分の1位の大きさだから、すぐに誰が中心か分かった。

 

まず1つ下の1年生→関わる必要がない&興味がないのでどうでもいい

一つ上の先輩→危険な人はだれもいない&どうせ仲良くなる前に卒業するだろうから興味ない

 

というわけで、同級生とだけ仲良くしていれば僕の学校生活は平和が約束される。

 

その中で、この学校の中心人物は2人だった。

 

これが川畑健。

あと一人はB君にしておこう。通称べーちゃん

 

なぜこの二人かというと、うーん。

 

べーちゃんは、中心人物になりたい欲が強いけどそれをみんなに見透かされている感じ。例を挙げると、生徒会長に立候補するし、部活のキャプテンや応援団長や合唱コンクールの指揮者に立候補したりするタイプ。一番は、九州でも青戸中の長距離の陸上部は有名でそこのエースだったから自分に自信があったのだと思う。でも、決して嫌な人ではなく素朴な好青年って感じ。

 

対して健は、勝手にみんなに中心に押し上げられている感じ。めちゃくちゃ弱小の野球部のキャプテンで、生徒会とか全く興味ないけど、体育祭は好きだからいつの間にか応援団長になってるし、クラスで積極的に仕切ったりはしないけど重要な決定はみんな健に委ねる感じだし、クラスマッチとかでここぞ!の時に活躍するのも健。要は、「もってる」って感じ。

 

面白いのが学年2クラスしかないから、いつも1組がべーちゃんで2組が健。
そして3年の行事は全て1組と2組が闘う構図になる。

ちなみに2~3年生の時俺も奥さんも2組だった。

 

まず、体育祭は1組が紅組 2組が白組になる。もちろんそれぞれの応援団長はべーちゃんと健。うちの中学は2年生(2クラス)1年生(1クラス)が自分たちのクラスが紅組白組どちらに入りたいか選べるシステムだった。

 

ご想像通り3クラス全て健が応援団長の白組に入りたがる。

 

そしてもちろん、本番も白組が優勝。
合唱コンクールも2組が優勝。
年に3回ある全学年トーナメント形式のクラスマッチも全部2組が優勝。
演劇みたいなのも2組が勝ち。

その他細かいのも全部2組が勝ちだったわけで。

 

 

そこに所々、勝機に絡むのが川畑君なわけですわ。

 

 

2人の大きな違いって、「空気感」だと当時から気付いていた。
健は、みんなを支配したいのではなくいい場を作る才能が人より長けていたのと、あと心から人に気持ちがわかる子だった。

 

 

だから、僕は転校して10日で県と仲良くなろうと思った。
だから最初は、健に引っ付いていた。それがカッコ悪いけど転校生の最初の生き残り戦略だった。

 

眠いから寝ます。