思い出書いておくブログ

なんの取り柄もない33歳のブログ

世の中を凌ぐ(21)【カリスマのケン③】

さて、健の続きの話でも書くことにする。

 

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 こんな感じで、ダラダラ書いていたら3回目になってしまった。
このペースだと20回目くらいまで続いてしまいそうだから今回で中学校の思い出くらいは終わらせておこうと思う。

※中・高が一緒で高校を卒業してから一緒に関東に出てきたので15年以上の付き合い

 

 

中2の時に転校して、「こいつがこの中学のカリスマだな」とすぐ分かったので転校して3か月は健のストーカーのような動きをしていた。
まずとりあえず、健は頭が悪かった。アニメの主人公みたいな奴だ。
だが、自頭は良かったのか数学と理科はそこそこ出来ていた。

 

僕は、3歳から通っていた公文式のおかげで頭がよかった。だから、英語を教える感じでまずは仲良くなっていった。

 

あと、健は給食を食べるのがめちゃくちゃ早い。
転校先の青戸中は驚くほど自由な校風で、給食を食べ終わったら各自勝手に昼休みになる。なので、早く給食を食べた方が昼休みが長くなる。

健は大体5分で食べおわって一人でフラフラと教室を出ていく。
給食の時間が30~40分で昼休みが20~30分だから1時間くらいの休み時間がある。

 

それを毎日、続けコミュニケーションを取っていった。

すると1~2か月もすると、健とは仲良くなっていった。
そのおかげで、セカンド中学生活は毎日楽しくなった。

健のカリスマ性はまぶしいくらいだった。

どこからどう見ても、初期は健の引っ付き虫みたいな僕だったが、健は一度もマウントを取ってこなかった。常に対等に接してくれた。中学生の時の多感な時期だから、自分の立ち位置を気にする年ごろにも関わらず、健はだれにも対等に接していた。

 

段々、カリスマたる所以が分かってきた。

 

多分、女子生徒の8割は健が好きだったのではないだろうか。と勝手に思っていた。
自分が女だったら間違いなく健一択だ。

 

毎日、健と過ごしているうちに中学三年になった。
ちなみに、青戸中には個性豊かなメンバーが多く毎日飽きなかった。

 

重い心臓病を患っている「ゆういち」←一番騒がしい
転校初日に担任に

「ゆういちくんは激しい運動をすると心臓が止まってしまうからどんなことをされても追いわしたらいけないよ。」

と訳の分からない説明をされたが3日もすれば理由が分かった。
まれにみる「ガヤ」だった。人をおちょくるスネ夫みたいな奴だった。
青戸中だからこそ楽しく学校生活を送れているタイプだ。
でも、嫌いじゃなかった。

 

ゆういちと健との思い出はそこそこある。

なぜか。俺と健は松浦亜弥が大好きだった。
そんな松浦亜弥が鹿児島でライブをやることが決定した。
本気で2人で行こうと考えていたが、中学生なのでお金がない。
親にも松浦亜弥のライブに行きたいからお金をくれと言いづらい。
2人で困っていた。同世代でこんなにもかわいい女性がいるのかと思うくらいに2人でハマっていた。なんなら、青戸中で一番松浦亜弥に似ている同級生と付き合ったのかもしれない。ちなみに今の奥さん。笑

 

そんな話はどうでもよくて、そこで資金調達をするためにゆういちを使おうという話になった。しかし、僕と健はカツアゲをするような人間ではない。
円滑に、ゆういちがお金を出す方法をじっくり考えた。

 

ちなみにゆういちはいつも大金を持っていた。
昼飯とかをコンビニで買いに行くといつも1人だけ1000円近く買う。
僕は200~300円と決めていたし、健なんかは80円のキングチョコしか食べていなかった。だから、あいつならあややのライブ代なんぞ簡単に出してくれると思っていた。

 

作戦はこうだ。

まず松浦亜弥の素晴らしさをさりげなくゆういちにプレゼン。

そんなあややが鹿児島に来ると大げさに報告。
同級生に近い奴が、日本全国でライブをしていることを力説。
俺たちは行くけどお前も行くか?と勧誘

 

俺と健は松浦亜弥のライブに行きたい。しかし金はない。でも勇気と行動力はある。
鹿児島天文館←鹿児島の繁華街  での動きは全て俺たちに任せろ。
だから、少しだけお金も多めに払ってもらえないか?と提案。

ゆういち了承。

契約書を三人で書こう。

 

俺と健サイン済み。ゆういちも記入。

 

以下契約書の中身(多分こんな感じだった)

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契約書

〇月〇日〇時から松浦亜弥のライブに私(ゆういち)は
川畑健と小野源太と参加します。
なお、費用は全てゆういちが負担します。

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↑ここの部分は折って隠してある

 

松浦亜弥ライブに必ず行きます!!
署名  川畑健  小野源太   

 

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これを記載してもらい。サイン後隠してあるところを見せ。
わーわー騒いでいるから、心臓の弱いゆういち君には過酷な
教室の天井にその契約書を画鋲で刺し、保管。
みんなに証人になって貰い。契約成立。

 

という事をやっていた。

 

結局行かなかったが、3人とも本気で行こうとしていたのになぜいかなかったのかは思い出せない。

 

あとは、落とし穴を掘ったりした。

さすがに怒られた。

 

中3になるころには結構仲良くしていたと思う。

この辺から同級生の男5~6人で塾に行き始めた。

 

しかも田舎過ぎて、塾に行くのに車で30分くらいのところにみんなで通っていた。
入塾テストみたいなので、健含む僕以外の奴はみんな一番下のクラスだった。
僕だけ上から2番目のクラス。

やっぱり青戸中の勉強のレベルは低かった。

 

健が部活を引退してからは、頻繁に遊び始めて
川に言ったり、山で秘密基地を作ったり中学3年生とは思えない
少年のような遊びをしていた。

ちなみに高校でもほとんど変わらないけど。

こんな感じで、楽しく中学校生活を過ごし
進路について考える時期になった。