思い出書いておくブログ

なんの取り柄もない33歳のブログ

世の中を凌ぐ(12)【ほっちゃん】

僕がこれが天才なんだろう。

 

と出会った中で唯一思った奴が小学校の時にいた。

それが、ほっちゃんこと「細川君」だ。

 

皆さんは天才に出会ったことがあるだろうか。
発想がいいとか頭がいいとかビジネスがうまい人は沢山見てきた。
しかし、「天才」と言える人はたった一人、ほっちゃんだけだ。

 

まず、ほっちゃんADHDだ。確実にADHDだ。
そして今思えば自閉症もセットだったかもしれない。
小学生ながらにこいつは変な奴だと認識できるくらいのADHDだった。
僕は先生にADHDの疑いをかけられていたから、どういう奴がADHDっぽいのか小学生ながらに分かっていた。

・じっとしてられない
・しゃべりすぎる。ずっとしゃべっている
・すぐにイライラする

これが全部当てはまっていた。
一つ一つ解説していこうと思う。

 

・じっとしてられない

いつも貧乏ゆすりをしていて、常に机がガタガタしていた。

・ずっとしゃべっている

めちゃくちゃ先生に質問をしていた印象がある。
あと自分が興味があるものについてはずっとしゃべり続けていた。
あと、一人寸劇をいつもしていた

・すぐにイライラする

納豆が大嫌いだったらしく、給食で納豆が出たときにに

配膳前の納豆がクラス分入った箱を3階から投げ捨てて問題になった。
キレると非常ボタンをすぐに押す。
それが面白くて、よくキレさせていた。

 

あとは以前に話した「かさぶた泥棒」(前回のブログ)も有名な伝説だ。

 

ただ、この話だけ聞いているとただのヤバい奴だけど、
彼は天才的な能力がいくつかあった。

 

まず、

とんでもない暗記力だった。

僕の小学校はマンモス校で全校生徒が800人以上いたとおもう。
1学年3~4クラスで各クラス35~38名くらいだった記憶がある。
先生も50人くらいいたと思う。
まずその先生の誕生日・星座・同じ誕生日の有名人&偉人を覚えている。
あとは自分の友達であればその特技を使える。
自分の誕生日を言えば何座で同じ誕生日の有名人&偉人をすぐ答えてくれる。
だから僕は毎朝ほっちゃんに会うと「今日はだれの誕生日?」と聞いていた。

他には、理科と数学に関してはぶっちぎりの理解度だったと思う。

いい意味で緊張や恥ずかしいという感情がどっかに言っているので
劇などの演技や、朗読なんかは才能抜群だった。
小4くらいから自分で先生方にプレゼンして、運動会の総合ナレーターなどをしていた。

 

そんな、ほっちゃんが唯一恐れていたのが「お母さん」だった。

めちゃくちゃ教育熱心のママだったのだろう。

ほっちゃんがいう事を聞かなかったり、非常ベルを押すと
担任の小倉先生は「お母さんにいうね」と一言だけ言うと、
ほっちゃんは静かになり全力で謝っていた。

 

僕は小学生ながらに担任の小倉先生に
「それは先生が言う事じゃないだろう」と思っていた。笑

 

それをよく見ていたので僕はほっちゃんが何かするたびに
「お母さんに言ってやろー」とからかい続けていたら、免疫ができてしまい
逆ギレするようになって、さらなる奇声をあげるようになった。

 

すると先生が「お母さんにいうね」といっても奇声を上げるようになり、
さらなる荒くれものになった。

 

その時、僕は枠からはみ出す奴の強さを知った。

 

意外と僕とほっちゃんとはそこそこ仲が良かった。
昔から僕は自分にはない特出したものを持っている人や、変な奴が好きだった


好きな女の子のかさぶたをその子の膝から剥がして、食べるくらいの異常性に興味津々だった。笑

納豆が嫌いだからって窓から全部捨ててしまう異常性や狂気。
非常ボタンをなんのためらいもなく押せる異常性や度胸。
のめり込むと授業中でも本を読み続ける変態さ。

あと、絵が独特でうまかった。
他にピアノもやっていて、クラシックとかの話もよくしていた。

中学校も同じだったのだけど、ほとんどほっちゃんとの記憶がない。
少し落ち着いて、一般生活になじめていたけど相変わらず変わっていた気がする。

 

ほっちゃん元気かなぁ。

 

子供の時の思い出を思い出すと、やっぱり根本は変わっていない。

僕は、自分とは違う考え方や他の人とは違う人や、常識や周りに染まらない人が昔から気になっていたことが分かった。

 

自分の考え方の原点は絶対に幼少期にあるのだと思う。

 

今後もっと振り返っていきたい。

 

 

では!!

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