思い出書いておくブログ

なんの取り柄もない33歳のブログ

世の中を凌ぐ(8)【凌世出産】

ここ最近のブログの題名に違和感覚えませんか?

もう8回目ですが。

 

元々、忘れてしまいそうな記憶をここに残しておこうと思ってその都度、昔の記憶を引っ張りだしてブログに残すことにしました。

僕が、忘れると誰も覚えていない記憶とかも多いので。


死んだ父さんやばあちゃん、友人との二人の記憶は僕が忘れたらこの世からなくなってしまいますからね。←今日のパンチライン

そんなわけで題名も「世の中を凌ぐ」と統一しているのですが、不思議な題名ですよね。実は、息子(0歳)の名前からとってます笑

 

世の中を凌駕する男になってほしいと思い、凌世。と表向きで言っていますが
どのように名前が決まったかというと、
完全に「字画」からのスタートです。

凌世が大人になったときに、姓名判断を調べてあまりよくない画数だと色々とそれを理由に言い訳されたくなかったので画数をある程度大切にしました。

 

完全に名前の画数は独断と偏見で僕が全部決めました。

 

まず特殊格にする。
次に特殊格にした場合 何格の名前がいいか。
次に名前を何文字にするか
(妻が2文字希望だったので2文字)
次に上の漢字と下の漢字を何画に振り分けるか
(その結果 上10画  下5画になった)
後はその画数の漢字を当てはめる。

 

 

凌世という名前は夫婦でとても気に入ってます。

世界を凌駕する
という意味も志高くていい名前の由来になってます。

そんなこんなで、ブログのタイトルが
「世の中を凌ぐ」にしました。

 

もちろん凌世の記憶もここに残しておこうと思うので
今回は「出産」の時の思い出を書いておこうと思うます。


令和元年の12月、僕は東京の本社で独立前の引継ぎをしていました。

12月は一番の繁忙月で正月休みもあるのでとてつもなく会社が忙しい時期でした。
その中で、「自分の第1子が生まれるから休みをください」
とは言いづらい雰囲気がめちゃくちゃあったのを覚えています。

 

しかも出産予定日は決まっていましたがその日にぴったり生まれるか分からないので
予定日の3日前には鹿児島に戻っておきたいと考えてました。
多分出産予定日が12月23日で会社の正月休みが12月28日からだったので、
12月20日~休みとってそのまま正月まで過ごしたいと会社に伝えたところ、却下されました。笑

 

そりゃそうだよね。と思っていたのですが、独立前でお金もあまり使えなかったので
20日~25日くらいまで出産立ち合いで休みをもらい、26日、27日のみ東京に戻り、28日にまた東京から鹿児島に飛び立つだけで

2往復もしないといけない&飛行機代が年間で1番高い時期(往復5~6万×2)だったので、もう辞めるんだからそれくらい大目に見てほしいなーって気持ちがあったのは事実ですが、あのくそ忙しい時期にお休みを頂けただけ感謝してます。

そんなこんなで鹿児島に戻ると、お腹の大きくなった妻は実家で元気に暮らしていました。まだ陣痛などもなく、終始穏やかでした。
なので、普通に妻の実家で2日ゆっくり過ごしてました。笑

 

特にトラブルもなく元気な状態で陣痛もないまま出産予定日の前日に前乗り入院しました。妻は痛みに激よわなので「無痛分娩」での出産です。そこからずっと立ち会っていましたが終始リラックスしていました。

入院して少したってから、「陣痛促進剤?」というものを投与して
徐々に陣痛が来たようでした。

少し前まで楽しく話していたのに急に「イタイイタイ!」と言いはじめ
とても苦しそうだったので看護婦さんをよんで色々確認したところ、 

なんかの数値を指さして、「この数値が100超えてきたらそろそろ赤ちゃんが出てきます。そして陣痛の痛みのピークです」と説明を受けました。

ふと、その数値を見ると確か20前後だった気がします。
妻と二人で20でこのくらい痛がっているのでこれが100超えたらどうなるのだろう
と不安になりました。相当痛みに弱い妻なので。

 

段々と痛がりはじめ、痛さのあまり妻は軽く嘔吐までしてしまいました。
「大丈夫?がんばれ!」と体をさすっていると、
「体さすらなくていいよ。それより数値は!」

 

僕の優しさに対応することができないくらいの痛みなのか

と思いながら、数字に目をやると・・・

確かまだ20くらいだった気がします。。。。。

 

吐くほどの痛みなのに20?と心の中で思いながら
「まだ30位だね・・・」と少し盛って報告したのを覚えています。

すると妻は
「これで30とか。100まで行ったら痛みで死ぬ!」

「麻酔お願いする!」

心の中で僕は
ほんとは20だから単純計算で今の5倍痛いんだよな。
下手したら100になったらほんとに死んでしまうかもな。と本気で思いました。

 

担当医を呼んできて(おじいちゃん)数値が30でかなり痛いので麻酔お願いします。
と妻が懇願すると。

 

主治医は
「もう少し陣痛の痛みを体験しなさい」
と言っていましたが、痛みに激よわの妻は断固たる決意で
「もう麻酔をお願いします!」
と言っていました。

 

多分そこから麻酔が始まりました。
(申し訳ないのですが記憶があいまいで間違ってることが多いかも)

 

 

そこからは多少の痛みがあるようでしたが落ち着き始め一緒に動画を見たりする余裕もありました。

夕方頃には、妻の両親や妹もお見舞いにきて出産の立ち合いに備えていました。

しかし、予定日の夜看護婦さんが「今日はお腹の張りが弱いから出産は明日かもねー」
一時、僕以外は自宅に帰宅。また二人の時間。


もう2000文字超えたので、一旦ここで終了します。

 

 

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