思い出書いておくブログ

なんの取り柄もない33歳のブログ

世の中を凌ぐ(17)【父との思い出①】

僕の両親は僕が中2の時に離婚した。
そのおかげで、栃木県に住んでいたのに鹿児島に転校する事になった。
ちなみに鹿児島は母親の実家だ。
なので中2以降、父と会っていなかった。

ちなみに父は5年前くらいに亡くなっている。

中学生くらいの多感な時期には、親が離婚している事が恥ずかしいと思ったり知られたくないなと思っていたが今はどうでも良くなった。その事については、覚えていたらそのうち書こうと思う。

さて、父との思い出シリーズだが今回は自分が小学2〜3年生の時ぐらいの思い出を書こうと思う。父は破天荒なタイプだった。だから小学生の自分に遊びを合わせるのではなく父の遊びに自分が連れて行かれるパターンだった。その日は、夏休みだったと思う。昼ごろ父が「源太遊びに行くぞ」というもんだから喜んでついて行った。当時の最寄駅の氏家駅で電車に乗り栃木NO1の繁華街宇都宮に向かった。小学生の自分は宇都宮に行くことは小旅行並みに嬉しい。どこに行くかなんて関係なく宇都宮にいければそれで満足だった。電車にゆられ、お昼に立ち食いそばかなんかを掻き込み父の遊び場に向かった。タバコ臭くて、音がうるさい場所だった。そう。パチンコ店だ。2人で店内を練り歩きスロットの台に2人で座った。そこで父はこんな説明をした。
「このボタンをひたすら押す。押せなくなったらメダルをたくさん入れる。メダルが無くなったらこのボタンを押すとメダルが出るからそれをまた入れる。この箱の中がいっぱいになったらお父さんを探せ。お父さんはあっちに(パチンコ)にいるから。」と言われ2人は別れた。小学2〜3年の割には理解力が高かったので何となく理解はできた。ひたすらメダルを入れ、ボタンを1人で押し続けた。勝ったか負けたかはよく覚えてないが途中でパチ屋の店員に「お父さんかお母さんと来たの?」と聞かれ、父来て父はあそこにいると説明したら父と店員が何やら話して、父がパチンコをやめ隣で一緒にスロットを打ち始めた。今思えば、すごい光景だったと思う。小学低学年がパチ屋で親とそれぞれスロットを打っていたのだから。店員もよく帰らせなかったなと今では思う。

 

思えば、パチ屋デビューする前からスーパーでメダルゲームなどを父と一緒にしていたのでスロットのルールもある程度すぐ分かった。きっと、この日のために練習を僕にさせていたのだと思う。なので普通に2人でスロットを何時間かして2人のメダルを合わせて換金した。かなり破天荒な父だとお分かりいただけただろうか。

 

さて、その続きがメインの話だ。前振りが長すぎた。

その換金したお金で、宇都宮で焼肉を食べた。そのあと家に帰るのかと思ったら、父は「まだ遊ぶぞ。泊まれるゲームセンターに行こう」と言ってきた。小学生はお泊まりは一大イベントだ。もちろん2つ返事で承諾した。向かった場所は「南大門」というところだった気がする。俗にいうスーパー銭湯だ。そこでは浴衣に着替え。お風呂に一緒に入ったりテレビを大広間で一緒に見たりした。そして、2人でUFOキャッチャーをして当時流行っていたスーパーヨーヨーと何かのキャラクターのぬいぐるみを父に取ってもらった。UFOキャッチャーで取ってもらったのがすごく嬉しくてものすごく喜んだのを覚えている。最高に楽しい一日を父と過ごし、夜中に雑魚寝ができる仮眠スペースに父と2人で入った。

 

 

 

朝、目を覚ますと枕元においておいたヨーヨーとぬいぐるみがない。
父を起こして、聞いてみると。
「多分、盗まれちゃったのかも」と答えた。すごく悲しくて泣いた。悔しくて泣いたのかもしれない。父はまたUFOキャッチャーで違うぬいぐるみを取ってくれたが、昨日ほどの嬉しさは無かった。その時、物を盗んじゃいけないのに誰が盗んだのだろう、そして僕の頭のすぐ上に置いてあったのにそれを取られたのはかなり近くまで泥棒が接近していたのだと思うと怖かった。なぜこんな事になったのだろうと、電車の中で考えていた。その時は、きっと南大門にいる人たちは悪者が多い場所だったのだろうと予想した。明らかに普段接する人達とは雰囲気が違った気がしていた。
それから南大門には2度と行っていない。あんなに、楽しかった時間を過ごしたのに悪者のせいで嫌な気持ちになったからだ。あそこは悪者が集まる場所だと思っていた。

当時の自分は、悪い人が多く集まるから悪い場所になったのか、悪い場所だから悪い人達になってしまうのかを考えていたような気がする。

 

僕は少し変わった子供だと言われ続けてきた。
きっとこういう教育の賜物だったのだと思う。

教育というか、変わった父だからか変わった子供になったのだと思う。
結果的には、良かったと思う。

 

ちなみに父も会社を経営していたらしいが僕が2歳くらいの時に倒産したらしい。
ある程度成功していたらしいが、お金の使い方が激しすぎたらしい。

 

遺伝子を半分継承しているし、何となくやっている事が似ているので
自分は最大限に気をつけていこうと思う。